◆ヤリグモとヒゲナガヤリグモ R. sagana & R. labiata
ヤリグモは北海道から南西諸島にかけて日本全域から記録されている (新海ら 2018).ただし,八重山群島の記録は1970年代と古く,ヒゲナガヤリグモの存在が認識される以前のものであるため,ヒゲナガの誤同定であった可能性も拭えない (吉田 2003).
「はじめに」で述べたように,ヒゲナガヤリグモは中国から記載された種であり,日本新記録として報告されたのは2001年のことである (Ono & Shinkai 2001; Yoshida 2001).南西諸島から関東・北陸にかけて記録されており,現在のところ新潟県が北限となっている (鈴木・須黒 2018).
ヒゲナガヤリグモを扱った図鑑
本種が日本新記録として発表された2001年よりも前に出版された図鑑では,当然ながら本種は取り上げられていない (e.g., 八木沼 1986; 千国 1989).2001年以降に出版された図鑑のひとつとして,サイズ,価格ともに手ごろかつ掲載種数も充実したフィールド図鑑 (新海 2006)があるが,その中では本種は扱われていなかった.本種が図鑑に掲載されたのは小野 (2009) が初だと思われるが,高価な専門書であるため本書によってヒゲナガヤリグモの存在が広く知れ渡ったとは思えない.
近年の図鑑では,例えば馬場・谷川(2015)の中で,「国内には (ヤリグモR. saganaの)類似種が4種いるが,外見からの識別は難しい」との記述がある.また,新海 (2017)や小野・緒方(2018)では,生態写真と共に本種が紹介されている.
ヤリグモ♂とヒゲナガヤリグモ♂の識別
ヤリグモ♂とヒゲナガヤリグモ♂は形態によって容易に識別できる.
まず,両種では触肢脛節の長さが異なり,ヒゲナガヤリでは長く発達する.
また,ヤリ♂では頭部眼域にキノコ状の突起が発達するが,ヒゲナガヤリ♂はこれを欠く.
ただし,前項で紹介したアシマダラヤリグモ♂も突起を持つため注意が必要 (Yoshida & Nojima 2010).
ヤリグモ♀とヒゲナガヤリグモ♀の識別
それでは,本題に移りたい.ヤリグモ♀とヒゲナガヤリグモ♀はどのように識別すればよいのか?
結論から述べると,両種は外雌器の形態によって容易に識別可能である.(何を今更,と思われる方もいらっしゃるかもしれないが…)
まず,ヤリグモの外雌器を見ていただきたい.
図中棒線で示した部分は,ヤリグモ属の外雌器に共通してみられる膜状の突起である.
ヤリグモにおいては,この突起が小さく,色も淡い.
1.ヤリグモR. sagana♀側面図
2.背甲側面図
3.外雌器側面図
4.外雌器腹面図
Scales=1mm(1-2), 0.5mm(3-4mm)
それに対して,ヒゲナガヤリグモにおいては膜状突起が腹側へ大きく突出し,また褐色に着色している.
1.ヒゲナガヤリグモR. labiata♀側面図
2.背甲側面図
3.外雌器側面図
4.外雌器腹面図
Scales=1mm(1-2), 0.5mm(3-4mm)
このように,両者の外雌器形態は明瞭に異なる.(論文にもそう書いてあるので至極当然のことである)
したがって,「ヤリグモ♀として記録されていたものが実はヒゲナガヤリグモの誤同定であった」という記録が見つかった場合,それは同定者が標本の外雌器を確認していなかった可能性を示唆する.たとえそれがヒゲナガヤリグモが新記録として報告される以前のことであったとしても,外雌器を確認すれば「R. saganaと同定できない不明種」として認識できたはずである.確かに,ヤリグモのような特徴的な外見のクモであれば,わざわざ生殖器を確認せずとも同定してしまうかもしれない.しかし,そのような姿勢は誤同定を招いたり未知種発見の機会を無下にしかねないものであるから,筆者も十分に気を付けたいと考えている.
同定時の注意点
検鏡の際,クモを仰向けにして置くと,糸疣の前方,すなわち外雌器を含む面が傾いた状態になってしまう.したがって,シリカゲルを厚めに敷くか,外雌器を切り取るなどして,面に対して垂直な方向から検鏡できるようにしたい.この角度の違いによって,同じ外雌器でも形態が大きく異なって見えてしまうことがある.
外見的特徴
ヤリグモ♀とヒゲナガヤリグモ♀を識別する上で外雌器が重要な同定形質であることは間違いない.それでは,体型や体色などの形質はどの程度参考になるのだろうか.
そこで,筆者が2018-19年に茨城県で撮影したヤリグモ♀6個体とヒゲナガヤリグモ♀12個体の写真を並べてみた.いずれも,外雌器に基づいて同定したものである.
<腹部形態>
吉田 (2008) によれば,ヤリグモ・ヒゲナガヤリグモのいずれにおいても,腹部の糸疣後部は前部の4倍以上の長さだという.また,腹部後部の長さはクモの飢餓状態や卵巣発達などに依存して変化するため,ばらつきも大きいと思われる.したがって,糸疣前部と後部の長さの比は識別においてあてにしないほうがよいだろう.
<腹部末端の突起>
吉田 (2008)に挙げられている識別点として,ヤリグモでは腹部後端に刺状突起を欠くが,ヒゲナガヤリグモではそれを有する,というものがある.これは重要な識別点かもしれないが,筆者が見た限りでは,ヒゲナガであっても腹部が肥大した個体では突起が埋没し,明瞭に確認できない場合がある.
<体色>
体色について,筆者は「ヤリグモは鮮やかな橙色,ヒゲナガヤリグモはくすんだ黄褐色~灰褐色」という印象をもっていたが,体色のばらつきは大きく,鮮やかな橙色のヒゲナガも確認される.
やはり,外見のみによってヤリとヒゲナガを識別するのは避けた方が良いだろう.
卵嚢形態
ところが,卵嚢の形態は両者の間で大きく異なる.
ヤリグモの卵嚢は白っぽく,中央~やや後方が膨らむ.一方,ヒゲナガの卵嚢は褐色を帯びており細長く,中央よりも前方が膨らむ.複数の卵嚢を観察した限りでは,このような特徴はある程度安定しているようである.ヤリグモ属は幼体の出嚢直前~出嚢後まで卵嚢の傍らに待機しているため,卵嚢の形態によって親グモの種がある程度判別できるかもしれない.
※ちなみに,タニカワヤリグモの卵嚢形態はヤリ・ヒゲナガのそれとは明瞭に異なる.タテスジの卵嚢は見たことが無いのでご存知の方は報告していただきたい.アシマダラは雌が未知なので,まずは雌の発見から.
ヒゲナガヤリグモ未記録の都道府県
最後に,2018年時点でヒゲナガヤリグモ未記録とされている都道府県 (新海ら 2018) を以下に挙げる.
引用文献
馬場友希・谷川明男 2015. クモハンドブック. 文一総合出版. 111pp.
Ono, H. & Shinkai, E. 2001. Spiders from the garden of the institute for Nature Study, Shirogane, Tokyo, Japan (Arachnida, Araheae), Reports of the institute for Nature Study, Tokyo, 33: 173-
小野展嗣・緒方清人 2018. 日本産クモ類生態図鑑.
鈴木佑弥・須黒達巳 2018. 新潟県で採集されたクモ. Kishidaia, 112: 76-79.
谷川明男 2019. 日本産クモ類目録 ver. 2019 R1. online at = {http://www.asahi-net.or.jp/~dp7a-tnkw/japan.pdf}
千国安之輔 1989. 写真日本クモ類大図鑑(改訂版). 偕成社. 309pp.
八木沼健夫. 1986. 原色日本クモ類図鑑. 保育社. 398pp.
Yoshida, H. 2001. The genus Rhomphaea (Araneae: Theridiidae) from Japan, with notes on the subfamily Agryrodinae. Acta Arachnologica, 50: 183-192.
吉田哉 2003. 日本産ヒメグモ科総説. 日本蜘蛛学会. 223pp.
Yoshida, H. & Nojima, K. 2009. A new species of the genus Rhomphaea (Araneae: Theridiidae) from Okayama prefecture, Japan, with notes on the habitats of Japanese Rhomphaea. Acta Arachnologica 58: 103-104.
新海明, 安藤昭久, 谷川明男, 池田博明, 桑田隆生 2018. CD日本のクモ ver. 2018. 著者自刊.
新海栄一 2006. 日本のクモ. 文一総合出版. 335pp.
新海栄一 2017. 日本のクモ (増補改訂版). 文一総合出版. 408pp.
Zhu, M. S. & Song, D. X. 1991. Notes on the genus Argyrodes from China (Araneae: Therididiae) . Journal of Hebei Pedagogic College (nat. Sci.) 1991(4): 130-146.
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