2020年3月1日日曜日

土壌性微小サラグモ類への誘い

はじめに 

 樹木の間や草の上に多くのクモがみられるように,地面の下にもさまざまなクモが生息している.サラグモ科は土壌性クモ類の代表的存在であるが,多くの種は体長数㎜程度と微小であり,色彩や斑紋も単純なものが多い.したがって,コガネグモ科やハエトリグモ科といったグループに比べると,名前を調べるのは難しい印象がある.実際,筆者も数年前まではこの仲間をまともに種同定することができなかった.





印象的な出会いがある.数年前,静岡県の山林で地表の石をめくっていたとき,落葉の隙間にシート網を張った微小なクモを発見した.体長は約1㎜とあまりにも微小であったため,はじめは何らかのクモの幼体だろうと思った.


しかし,腹部腹面を撮影してみると,何やら赤色の斑紋が見える.これは外雌器とよばれる,♀の生殖器だ.すなわち,この個体は体長約1㎜の成体だったのだ.

さっそく採集し,顕微鏡で交尾器の形態を観察したところ,静岡県未記録種の「ヤマトオオイヤマケシグモRyojius japonicusであることが判明した.本種は静岡県新記録種として報告された.

クモ屋と呼ばれる人々の中でも,微小サラグモ類の採集や同定を積極的に行なっている方は少数派である.ましてや,一般の自然愛好家にとっては,目に留まらない存在であるか,あるいは見つけたとしても名前を調べるに至らないことが多いだろう.その一方,サラグモ類の種多様性や形態美に魅了される者も少なくない.また,サラグモ類に対する人々の認知度の向上は,このグループの多様性解明に少なからず寄与すると期待できる.

そこで,自然愛好家に対する微小サラグモ類の知名度向上および微小サラグモの採集や同定に対する生き物屋・クモ屋のモチベーション向上となるような情報を提供することを目的とし,本記事を執筆した.


1.発見・採集

そのサイズや生息場所ゆえに,肉眼での発見は困難である.ハエトリグモ科などと同様に手すりの上を歩き回っている個体を見かけることもあるが,効率よく採集するためにはシフティング法によって土壌や落葉からクモを集めるのがよい.
シフティング法とは,ザルなどを用いてリターをふるいにかけることで,微小なクモを抽出する方法を指す.必要な道具は,100円ショップの水切りカゴとトレーの2品のみ.土壌や落葉を入れたザルをトレーの上で小刻みに振り,トレーに落下してきたクモを回収する.微小なクモはピンセットや吸虫管で回収するのがよい.筆者はクモを爪の間にはさんで回収することが多いが,虫体を傷つける可能性があるのでお勧めしない.

サラグモ科の他に,マシラグモ科,ヤギヌマグモ科,タマゴグモ科,ナミハグモ科,タナグモ科,ハタケグモ科,ワシグモ科,カニグモ科などもシフティングで得られることが多い.これらの科の識別についても学ぶ必要があるが,本記事では割愛する.


2.同定

2.1 幼体か成体かを判別する
基本的に幼体のクモは形態では種同定できないため,クモを固定して標本にする前に幼体か成体かを判別することは重要な意味をもつ.判別の際は以下の形態に注目する

外雌器…成体♀の腹部腹面基部付近には硬化した生殖口が開口する.これを外雌器(がいしき)とよぶ.外雌器が完成していれば成体であると考えて良い.
雄触肢…クモの口元に生えている短い脚のような構造を触肢(しょくし)と呼ぶ。亜成体♂では風船のように膨らんでいるが,成体♂では複雑な構造が形成される.

外雌器と雄触肢の摸式図.
左:♀成体の背面図と腹面図
右:♂頭部側面図と♂亜成体の触肢


せっかく大量の微小サラグモを採集したのに,エタノールに浸したらすべて幼体だった...となってしまえば,もはや名前を調べるのは困難である(ただし,少なくとも筆者はコサラグモの幼体ばかりを採集するという経験はあまりない).可能であれば,生きているうちに成幼虫を判別し,幼体であれば逃がすか飼育,成体であれば固定,といった選択肢をとりたい.筆者は主に以下の方法で判別を行っている.

①野外で♀の腹面や♂触肢を拡大撮影
♀が網にぶらさがっている場合,腹部腹面が丸見えになるので写真撮影によって外雌器の有無を確認できる(上記のヤマトオオイヤマケシグモの例).♂も,側面から撮影することで触肢を確認できる場合が多い.

②透明な袋に入れてルーペにより観察or撮影
袋でクモの体を軽く押さえつけると観察がしやすい.ただし潰してしまわないように注意.



2.2 種同定

・観察方法
種同定をするには,外雌器や♂触肢の形態を正確に観察する必要がある.生きたままでは難しいため,エタノール(75-80%)で固定する.
固定したクモはエタノールに浸した状態でシャーレの上にのせ,実体顕微鏡で観察する.微小種が多いので低倍率では十分に観察できない場合が多い.
高倍率の顕微鏡を使用する術がない場合,OLYMPUS STYLUS TG-4やTG-5などのコンデジを用いることも検討する.ただし,体長1―2㎜程度の種はやはり観察が難しい.

スクリュー管越しにTG-5で撮影したオオクマコブヌカグモの外雌器.
思いのほか形態がよく映っている.
実体顕微鏡+深度合成ソフトを用いて撮影した同種の外雌器.
右図は腹部から切り離した外雌器腹面図(上)および内部生殖器(下).

スクリュー管越しにTG-5で撮影したオオイワヤマトコナグモの外雌器.
うっすらと構造が見えるが,これをもとに種同定するのは正直いって不安である.

スクリュー管越しにTG-5で撮影したオオイワヤマトコナグモの雄触肢.
触肢を観察する場合は本体から切り離して側面から撮影する必要がある場合が多い.
この図のみから種同定を行うのは困難である.


・スケッチ
交尾器を観察・撮影しながら,その形態をスケッチすると,構造に対する理解が深まる.

・同定資料
生殖器の形態が観察できたら,種同定に移行する.コサラグモ類は種数が膨大であるため検索表を用いるのが良いと思われるかもしれないが,筆者はうまく使いこなせない.検索表では歩脚の毛列パターンなどから分類群を絞っていくが,毛が抜けていると検索を誤る可能性が高い.それよりも,交尾器形態による絵合わせ同定を行うことが多い.手持ちの標本の交尾器写真やスケッチと,図鑑に陳列されている図をひたすら見比べる.すると,「これだ!」という図が見つかることもあれば,見つからないこともある.

図鑑は掲載種数が多すぎて絵合わせが困難だという場合は,ネット上の資料に頼るのも手だ.たとえば, 


には東京都を中心に関東地方にみられる代表的なサラグモ科の生態・標本写真が掲載されており,土壌性の微小サラグモ類も多数含まれている.同定も正確であり,生殖器を複数角度から撮影した画像が掲載されているため,非常に参考になる.

・専門家への同定依頼 
顕微鏡などの観察器具の問題で種同定に足る形態情報が得られなかったり,図鑑に掲載されている図と一致するものを見つけられなかったりした場合,専門家への同定を依頼する.筆者は,専門家に同定依頼をする際,東京大学の谷川明男博士による私見を参考にしている.









クモに限らず,生き物の名前を調べようとしている方は是非ご一読いただきたい.






0 件のコメント:

コメントを投稿